
- 朝日遺跡について
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朝日遺跡は、弥生時代前期から古墳時代前期(紀元前6世紀~紀元後4世紀頃)まで営まれた全国でも有数の大規模集落です。この地方の生活·文化の中心として栄え、東西日本の弥生文化をつなぐ重要な役割を担っていました。
1970年代に、道路建設にともなう大規模な発掘調査が始まりました。それまでは点在する貝塚や遺物包蔵地と考えられてきた個々の遺跡が、まとまりをもつ一つの集落であることが明らかになり、この集落跡を「朝日遺跡」と呼ぶように統一されました。これまでの調査によって、遺跡の範囲は東西1.4km、南北0.8km に及び、遺跡の面積は80~100万㎡と推定されています。北東から南西にかけて流れる谷の南北の微高地に住居が営まれていました。居住域を取り囲むように墓域がつくられました。とくに東側と西側に、大規模な墓域が広がっています。
発掘調査では、環濠・逆茂木·乱杭からなる強固な防御施設が発見されたことをはじめ、埋納された銅鐸、玉作りの工房跡、最古のヤナ遺構など重要な発見が相次いでます。