変遷と年代

Chronicle

弥生時代前期(紀元前6~前4 世紀)
弥生時代前期(紀元前6~前4 世紀)

中央をとおる谷の南側に、貝殻山貝塚をはじめとする貝塚が点在しています。初期の集落は、径150 メートルほどの環濠集落で、西日本から新しい文化を伝えた遠賀川式土器を使用する人々が暮らしていました。一方、谷の北側には、環濠をもたず、縄文時代の伝統を引き継ぐ条痕文系土器を使用する人々が住んでいたようです。
▶この頃のできごと:稲作が伝播、日本列島に広がる。

弥生時代中期前葉~中葉(紀元前4~前2 世紀)
弥生時代中期前葉~中葉(紀元前4~前2 世紀)

集落が大きく広がり、南居住域と北居住域、東墓域と西墓域など、集落の基本的な配置が定まりました。北居住域の南側には、環濠・逆茂木・乱杭等からなる強固な防御施設が築かれました。東墓域には大小の方形周溝墓がつくられ、なかには30 メートルをこえる全国最大規模の墳墓もみられます。工房が設けられた玉作りをはじめ、土器、石器、木製品、骨角器など、さまざまなものが行われ、ものづくりと交易の拠点的な集落として発展しました。
▶この頃のできごと:金属器がもたらされる

弥生時代中期後葉(紀元前2~前1 世紀)
弥生時代中期後葉(紀元前2~前1 世紀)

瀬戸内地域や近畿地方の影響が強くみられ、集落の構造にも大きな変化がありました。環濠が掘られなくなり、居住域の区画が不明瞭になりました。墓域は小グループに分かれ、古い墓を壊して新しい墓がつくられることもありました。中央の谷には砂が厚く堆積していました。この頃気候の変化により頻繁に洪水が起こったとするデータもあります。
▶57 年  倭の奴国王、後漢に使者を送る。

弥生時代後期~終末期(1~3 世紀)
弥生時代後期~終末期(1~3 世紀)

弥生時代後期になると、北居住域と南居住域に再び環濠が掘られ、居住域を取り巻くように墓がつくられました。南居住域の環濠の外には、銅鐸が埋納されました。また、北居住域の東側では、水路に設けられたヤナ状遺構がみつかっています。弥生時代終末期には、環濠に大量の土器が捨てられ、集落は衰退していきました。
▶107 年 倭の国王帥升等、後漢に使者を送る。生口(奴隷)百六十人を安帝に献上する。(『後漢書』東夷伝)
▶239 年 邪馬台国の卑弥呼、帯方郡や魏に使者を送る。魏から「親魏倭王」の称号と金印紫綬などを賜る。