3月のテーマは「弥生人の斧」
2021.03.21(日)13:30~14:30
本館研修室にて弥生セミナー「弥生人の斧」を実施しました。
参加できなかった方のために講演内容を簡単にご紹介します。
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弥生時代、朝日遺跡で発掘された出土品には
多くのムラ人が暮らした証として、住居や柵、農具など大量の木材が使用されています。
今回はその木材を加工するのに使った石の斧の刃「石斧(せきふ)」に着目。
朝日遺跡では小さい物から大きなものまで様々な形状の石斧が出土しています。
まず「木を切る、削り」柄の部分に穴を開け、
「石斧」を入れ込みます。構造は見た目通りです。
その石はどこから手に入れたのでしょう。
朝日遺跡の石材はほとんどがいなべ市・青川の石。
もっと詳しく書くと「ハイアロクラスタイト」という緑色の岩石で
比重が高く粘りがあり強い衝撃を受ける石斧に適した石材だったようです。
このハイアロクラスタイトは鈴鹿山脈に算出することも知られており
ハイアロクラスタイト製石斧の生産址が三重県いなべ市で見つかっています。
また、石斧の出土品が三重県を中心とした伊勢湾沿岸、濃尾平野でも見つかっています。
貴重な石材ですから、加工途中で割れた場合でも再利用してさらに小さい加工品として使っていたと考えられています。
それらも多数、朝日遺跡では出土しています。
弥生時代後期には、斧の材質も石から鉄へと変化していきます。
板状の鉄を折り返し袋状に丸めて成型した「袋状鉄斧」を
木の柄の先に取り付けて使用します。とても完成度が高い為、大陸で加工したものとも考えられます。
では、最初に木材を切り倒す時に斧をどう使ったのか。
これを検証してみた話。
鉄の斧は野球のバットを振るように横から切れ目を入れていきますが
石斧は真横から叩くと弾かれてしまいます。
では、どうするか。木の皮を上から削ぐように石斧を叩き付けて削っていく要領です。
石斧では木の繊維を断ち切れてないが、鉄斧では深く切り込めるためです。
縄文時代から木を切ったり加工したりする際に用いられてきた磨製石斧。
弥生時代になると大陸の影響を受け、伐採用の両刃石斧、加工用の片刃石斧に形状が分化。
尾張地方では鈴鹿山脈に算出するハイアロクラスタイトが主要な石材として用いられ広く流通していた。
しかし弥生時代後期になると、鉄斧が急速に普及しやがて石斧は作られなくなっていきました。